緑内障になったことをほとんど誰にも話していないのには理由があります。
 
誰にも話していないとSNS等で言うと、『心配をかけたくないんですね。優しいんですね。』なんて言っていただけるんですが、ちょっとひねくれた人間なのでそれともちょっと違うほの暗い感情が根底にある。

私自身がこの病気に全く理解を示さなかったことで、大切な人を苦しめたから、この病気の理解され難さ、無関心無理解から出てくる発言に傷つくことを回避したいと思っていることがその大部分です。

自分を守るために、秘密にしています。

それでは誰から守っているのか。
それは他ならぬ家族です。

 私の父は緑内障による視野狭窄が原因でうつ病になりました。
 30台後半、ちょうど私が人間ドックで緑内障と診断を受けたのと同じ歳の頃に、若き日の父も緑内障の診断を受けました。
 それから約30年余りをかけて、父の視神経はその数を減らし、定年退職をする頃には左目の視野は数パーセントと診断されていました。

父は真面目を絵に書いたような人柄でしたが、反面どうとでもなれ精神に欠けていたというか、人に迷惑をかける自分が何よりも許せない人でした。
人に頼るということに罪悪感を抱く人間。自分のために人が我慢するのが我慢できないという人物でした。

そんな父でしたから、足手まといになりたくないと緑内障を理由に再雇用も断り、趣味も諦め、最終的には車の運転をやめ、家に籠るようになりました。
退職してからは目に見えて気力が無くなり体力が落ち、3年前の夏にうつ病と診断されました。

その頃には、見えにくさから歩幅も狭く、足元を気にしてかうつむき加減で動きもゆっくりで、同年代の男性よりもずうっと、年老いて見えました。

なんでしょう、今こうして文字にすれば、私はさも父のことを気にかけ、よく見ていて、変化に敏感な優しい娘みたいですよね。
それでも、その当時は全く辛さを分かってあげていなかった。意識的に父の衰えを見ないようにしていたんだと思います。

若い頃、スマートで運動もできてかっこよくて優しかったお父さん。自信をなくして弱っている姿を見たくなかったのだとしても、もっときちんと向き合えばよかった。
ちゃんと見えないし、ちゃんと見てももらえない。本当に辛かったと思います。

そんな自分が同じ病気になってみて、思ったこと。家族は一番近い他人だと言うこと。
わかってあげなかったから、わかってもらわない。それで自分の病気のことについてはなんの不満もありません。

こうして文字にしてみると家族に病気のことを言わない理由は、全く利己的なものだと分かりますね。

長くなったので、続きは別記事に書きます。