前の記事が長くなりそうでしたので続きをこちらに書きます。
タイトルにある緑内障と一人で戦う。これは私が父にしたことであり、私自身もこうしようと決めた命題でもあります。

物事は多角的に見なさいとか、第三者目線で考えよう、なんていう言葉ありますけど、私は利己的かつ自己都合が服着て歩いてるような人間だから言いますけど、これはまず無理です。

できないから、苦しんでいる父のことを真剣に考えてあげなかった。これは事実。

私は診断から3年が経ち、数回の視野検査で左目の鼻側の視野が欠けていることが分かりました。
今は寝起きに一種類の点眼だけで眼圧が落ち着いているので、そんなに治療は負担になりません。

けど、SNS上には同じ病気の方々がいて、その進行の速度も度合いも全く異なります。同じ病気でもその焦りや不安を共有することは難しいでしょう。
むしろ同じ病気でも、個人差から身体的金銭的負担や受けられる社会的保証の違いで、余計に差別化が図られるような気さえしています。

だから、わかってあげられるとか、ましてわかってもらえると思うことはやめようと思っています。
それぞれが、自分自身を守るために、一人で戦い続けなきゃいけない。
緑内障に関わらず、闘病ってそういうことなんだ。

この先、この考えが変わることもあるかもしれませんが、今はそう思っています。

では、私の父は30余年間、緑内障とどのようにして戦ったか。
結論から言うと、最も良くない方法がそれです。治療をきちんとしない。自己判断で点眼を中断していた。これです。

視野欠損を自覚できる頃にはかなり緑内障は進行していたのでしょう。
私が自分の父は目薬を手放せない人なのだと気づいたのが、父が50代になるころでしたので、見えないところで点眼していた可能性はあるにしろ、診断から20年近くは自己判断で治療を中断再開していた可能性があります。
そこからは、地元の眼科をいくつか転院しながら、他県の緑内障に詳しい先生にも見てもらいましたが、この病気の怖いところは病状は前進一方で、治療により後退はしないというところ。
治療の内容は現状をいかに保つかに終始しました。

私も母も理解が足りず、良くなることはなくても、病院に行っていればこれ以上悪くなることはないんだろうな。くらいに思っていましたし、当の本人である父ですら、視野欠損を自覚するまでは緑内障の怖さをわかっていなかったのだと思います。

私は今、ほとんど毎日欠かさず点眼をしています。一人で戦うと決めたけれど、父の足跡がありますから、同じところで膝を折るわけには行かないなと思います。
父が見たくても見られなかった、30年先の景色を見ること、それができるだけの経験を残してもらったと思っています。